革命児サパタ(1952)





「暴力しか知らない男が、急に平和をもたらせるのか?」


1999年、エリア・カザン監督が
アカデミー賞の名誉賞を受賞した時のことを
今でも強烈に覚えています

数々の映画や演劇の名作の
監督や演出の実績においての受賞だったのでしょう

だけど、拍手もせず腕組をしたままの、数々の怪訝な顔
とりあえず拍手だけはする人
一方、スタンディングオベーションする人もいます

受賞者には全員でのスタンディングオベーション
あたりまえのアカデミー賞
なのに、重苦しい空気が会場を包みます
憎しみを感じるほどに

この作品は、カザン監督の共産主義に対する
批判のメッセージが込めていると評されているようです

映画のほうも、皮肉な物語でした

農地を奪われてしまった農民が、自分の土地を取り戻すため戦います
それは家をもつため、作物を育て食べるため、安心し夜は寝るため
人間として普通に生きることを望んだだけなのです

なのに、戦うことのほうが生活になってしまった
独裁者を倒したとき、自分が同じ独裁者になってしまいます

仲間で唯一、博識で文字を読める親友
しかしサパタ(ブランド)は彼に裏切られたと自らの手で殺してしまいます
彼こそ真実を伝えていたのに

一緒に戦った兄のマノ(クイン)さえ見捨てたのでしょう
気づいた時には遅かった
落ちぶれてしまった兄まで命を奪われてしまう

そしてサパタもまた参謀役のグリンゴの罠にはまってしまいます
平和が訪れることはなく、永遠に続く戦いを臭わせます

冷静沈着で、勝ち目のあるほうにつくグリンコ
これが、カザンの姿なのでしょうか

小説を読む的な、想像力を膨らませて鑑賞するのが
より味わい深くなるのではないかと思います

製作された時代背景も感じながら



【解説】allcinemaより
 今、カザン作品を見直すことの驚きはそのヴィジュアル・センスの確かさにある。スタインベックが脚本を手がけた、このメキシコの革命家の物語も、多少もたつきはするが、ラストの凄まじい射殺シーンに象徴されるような、中米の灼熱を伝えるロケ撮影とその堂々たる構図、カッティングの妙が、骨太の人物伝そのものより印象的だったりする。もちろん、ブランドは労務者から、パンチョヴィラらに指名され、大統領にまでのし上がる英雄を力強く演じ、オスカーを獲ったA・クインの人なつっこい兄役(これをサパタは殺さねばならなくなる)共々申し分ない出来なのだが……。結局、同志フェルナンドの裏切りで先述のように蜂の巣になるサバタ。その妻を演じるJ・ピータースの野性味に溢れた美しさも忘れられない。