フォックスキャッチャー(2014)

 
最近の映画はあまり面白くないよな
そんなふうに思うこともあるけど
これは見て、本当によかった
 
実話がベースということですが
作り過ぎず、描き過ぎていません
 
そして、どうしてこんな結末になったのかと
深く考えさせられる
 
デュポン社、私でも名前は知っています
ゴムやナイロンやテフロン・・
今の生活に欠かせない用品を作っています
実際にはアメリカの戦争を支えた製品で
富を築いたそうですが
 
そのデュポン・グループの大富豪
ジョン・E・デュポン(スティーヴ・カレル)は
ロス五輪のレスリングで兄弟金メダリストとして活躍した
弟のほうのマーク・シュルツ(チャニング・テイタム)を支援し
ソウル五輪でも金メダルを獲得することを目指します
 
母親から支配(でも愛されていない)されているジョンと
兄から支配(愛されている)されているマークは
似たもの同士
繋がるものがあったのでしょう
 
コカインやアルコールの影響も大きかった
歪んだ関係となってしまいます
 
兄のデイヴ(マーク・ラファロ)はそんなマークを見かね
再び指導しオリンピック行きの切符を手に入れます
彼こそ理想の男であり、コーチ、リーダー
 
なりたい自分
なれない自分
 
 
この作品、語ろうと思えば
語れる部分があまりに多すぎて(笑)
 
ジョンの孤独、お金の威力でだけで従う人々
やることのすべてが虚しく、そしてイタい
 
そんな扱い憎い子は愛せない
名馬に愛情を注いでしまう母親の気持ちもわかります
 
金メダリストなのに、優秀な兄の陰で
名前すら知られない弟
 
家族を幸せにするために努力しているだけなのに
理不尽に殺されてしまう兄
 
誰もが自分にあてはまる
誰もが持っている明と暗
成功と失敗
 
スティーヴ・カレルの鬱ぶりが素晴らしい
名優の殿堂があれば、入ること間違いなしです
 
お気に入りで
 

 
【解説】ロサンゼルス、ソウルで二大会連続銀メダルを獲得したレスリングの太田章選手のインタビューより
――太田先生の親友であったデイブ・シュルツ射殺事件を映画化した『フォックスキャッチャー』についてお聞きいたします。
太田 非常に難しい映画でしたねぇ。映画全体の出来は素晴らしいけど、焦点を当ててるのはレスリングというマイナースポーツでしょ。さらにレアにしようとして監督がいろいろと演出してましたよね。レスラーの歩き方、練習の仕方とかね。
――先生から見てもリアルな描写だったんですね。
太田 映画と同じく実際のデイブとマークは性格が対照的な兄弟で、2人揃ってオリンピックの金メダリストで仲がよかったんです。弟が兄をチーム・フォックスキャッチャーに誘ったことにより、兄が非業の死を迎えてしまったという。あの事件からだいぶ時間は経ってるんだけど、当時は本当にショックな事件でね……。インターネットが出始めた頃なので、情報はあまり行き渡りませんでしたが、日本のスポーツ新聞でもこの事件は大きく扱われて。どうも偏った男同士の愛があったというふうにも書かれたんですね。
――映画の中でも、ディポンとマークのホモセクシャルの関係性を匂わすシーンがありましたね。
太田 真夜中にマークとデュポンがレスリングの練習をやりながらハアハア言ってね。ジョン・ディポンにそういう毛があるんじゃないか、と。殺されてしまったデイブはそっちにモテるタイプじゃないんですよ。身体も筋肉質じゃないし。でも、マークは逆でね。デュポンが恋心を持ったマークには出て行かれて、とくに興味のない兄だけがコーチとしてデュポンのもとに残った、と。そこをメディアが面白おかしく書かれてしまったから。デュポンはお金はあっても友達もいない、親の愛も受けていない。孤独な男だったんでしょう。じつはシュルツ兄弟も幼い頃に両親が離婚していたので、いつもお父さんお母さんがそばにいたわけじゃなかった。2人で寄り添って生きてきたところはあるんです。だから孤独を抱えた男3人が主役の映画というわけなんですよ。
――先生はデイブのお葬式に出られたんですよね。
太田 デイブの追悼式に出るためにアメリカに渡りました。そこには彼らのお父さんお母さんも出席していたんだけど。お父さんはデイブのために自分で作った歌を陽気に歌ったり、笑いながら昔話をするんです。そうやって集まったみんなをなんとか笑わせようとするんですけど、逆にデイブの不在が明らかになってしまってよけいに寂しくなっちゃいましたよねぇ。今回の映画も見れば見るほど笑えないし、泣けもしない。自分の中では親友が突然亡くなったわけですからね。いまでも「いったい何があったんだ……?」という気持ちでいっぱいなんですよね。
――映画でもよけいな説明は一切省かれました。
太田 当時も何が起きたのかがわからないという声はありました。そのうえ日本ではアメリカ現地のニュース番組はどこも放送してなくて、NHKのBSで『ナイトライン』という番組を同時通訳で流してるだけだったんです。その『ナイトライン』でいかにジョン・デュポンが狂っていたかを報道してるんですよね。デュポンの従兄弟は言うには「彼は精神を病んでいた」と。「そばにいたあなたたちが気付かないと本人も気がつかない。先に警告していればこんな事件は起きなかった」とまで言うんですから。番組の司会の方も誰が悪いとか決めつけるじゃなくて「なぜこういう事件が起きたか」を必至に探ろうするんですけど、やっぱりわからないわけですよ。デュポンは愛国心からアメリカのレスリング協会に寄付をして、チーム・フォックスキャッチャーも結成しました。それなのになぜ自分のチームのコーチを殺すのか、と。
――太田先生もチーム・フォックスキャッチャーに行かれたことがあるんですよね。
太田 デイブの自宅に2週間くらい滞在しました。デュポンにも会って握手しましたよ。細くて、ふにゃっとした冷たい手でしたし、一度も目を合わせてくれなかった。嫌な感じはしたんですが、レスラーからすれば、チーム・フォックスキャッチャーは羨ましい場所だったんですよ。練習環境にも恵まれているし、無料であんなにたくさん部屋のある豪邸にも住めてね。
――そのうえ給料がもらえるわけですよね。
太田 生活の心配をすることなく練習ができるわけです。ただ、ディポンは気まぐれで「何時間以内に敷地から出て行け!」みたいなことを選手に突然言うんですって。そんなことをされるとコーチたちも困るんですよ。選手たちはお金が欲しいわけじゃなくて、純粋にレスリングがやりたいだけなんだから。コーチたちは「気分次第でクビを切ったりしてはいけない」とデュポンをなだめるんですけど、デュポンは言うことを聞かないわけですよ。そうしてるうちにレスラーやコーチたちがフォックスキャッチャーを離れていってしまったんですね。デイブも出ていこうとした矢先に撃ち殺されてしまったんじゃないかと言われてますね。
――絶好の環境を捨てたくなるほど、デュポンの性格は歪んでいたということですか。
太田 我慢すれば恵まれた環境にいられるんですけど、限界は限界だったんじゃないですかね。当時、デュポンと養子縁組をして彼の全財産を受け継ぐ約束?をしたというレスラーもいたんですよ。その人間も途中でいなくなってしまいましたから。
――全財産を受け継ぐ約束って……。
太田 91年頃の話ですけどね。そのレスラーはまったくの無名だし、レスリングの実績もなく全然強くなかった。レスリングが強くなりたくてフォックスキャッチャーに来た中のひとりでしたけどね。デュポンとそんな約束をしたので「ラッキボーイ」と言われてたんですよ。
――いったいどういう関係だったんでしょうかね……。
太田 ふたりのあいだにどういった“愛”があったのかはうかがい知れないですけどね。最終的にデュポンの全財産の8割をブルガリアレスリング協会の会長が受け継ぎました。
――バレンティン・ヨルダノフですね。
太田 彼はフォックスキャッチャーのコーチだったんですけど、身元保証人がデュポンだったんです。デュポンが殺人をしようが何をしようがデュポンが身元保証人であるということで、デュポンが刑務所に入ったときも彼が必要な物をすべて用意して、身の回りの世話もしていたんですね。
――この映画にはMMAのシーンも何度か挿入されていますが、その意味がわからなかったという方が多いですね。
太田 あの映画だとマークがソウル五輪のあとすぐにMMAに出たことになってるけど。UFCが始まったのは93年からだからね。
――マークがフォックスキャッチャーにいるときにUFCが始まったことになってますね。
太田 レスラーたちがUFCぽい番組を見たことはあったかもしれないとは思いますけど、まだ始まっていないんだから。
――映画の中に、マークらチーム・フォックスキャッチャーのレスラーたちが、テレビでMMAイベントを鑑賞する場面がありましたね。「なんでレスラーがこんな試合に?」「金のためじゃないか」という会話もあって。映画のラストはマークがMMAのケージに向かうところで終わりますが、実際にマークはフォックスキャッチャーを離れたあとにUFCMMAデビューします。対戦相手はゲーリー・グッドリッジ。映画の中にレスラーたちが眺めていたテレビ画面にも映しだされていたのもグッドリッジでした。つまり監督はフォックスキャッチャー以降のマークの人生も暗示したかったんでしょうね。マークは食うためにフォックスキャッチャーにも入るし、のちにUFCに出る。この映画は競技者としてどう食べていくかというテーマも内包されていたと思うんです。
太田 正直、当時は、レスリングで活躍してもなんにも残らないです。金メダルを獲ってもね。アメリカは日本より酷い扱いなんですよ。
――日本よりもですか?
太田 吉田沙保里伊調馨の待遇とは雲泥の差ですよ。彼女たちは保証された一定の収入と練習環境が用意されているし、オリンピックに勝てば報奨金をもらえます。男子である程度、勝ってる連中でもあそこまでの待遇を受けてる選手はいないですよ。たとえば医療保険にしても彼女たちは企業の社員だから会社が守ってくれるわけですが、アメリカは自分一人で保険に入らないといけないわけですよ。アメリカには国民健康保険がないでしょ。大統領がお金がなくて保険に入れない人たちのために新しい医療制度を作ろうとしたら、「俺たちの金を使うなんてとんでもない」と富裕層が大反対してね。
――オバマケア問題ですね。
太田 変な国なんですよ(笑)。アメリカで保険に入ってないとケガや病気をすると大変です。盲腸の手術だけで数百万ですから。
――ケガをしがちなスポーツマンからすると大変ですねぇ。
太田 だから保証があるというのは大事なんですよ。
――太田先生の現役時代も生活は大変だったんですか?
太田 大変だった。ボクらの頃は日本も大変だった。いまのような企業が応援するようなシステムはなかったし。ソウル五輪までは金・銀・銅のメダルを獲っても報奨金はなかった。
――メダルを獲っても名誉だけですか……。
太田 バルセロナ五輪から金メダル300万、銀メダル200万、銅メダル100万の報奨金制度ができて、その額でもぜんぜん足りないんだけど、ボクはバルセロナでは勝てなかったからね(笑)。バルセロナから初めて日本選手団のユニホームがタダになったの。それまでは選手が自己負担していた。
――自腹だったんですか!(笑)。
太田 8〜10万を個人で払ってたんですよ。当時のレスリング協会なんて金がないですから。
――マイナースポーツをやり続けるって大変ですね……。
太田 しかも食っていけないし、身の保証もない。引退したら何も残らないんですよ。いまは競技者のセカンドキャリア問題がどうのという話があるでしょ。もうそれ以前の問題。現役のときから働きながらその競技に懸けてるから、やってる最中もお金はない(笑)。引退したあともお金はないんですよね。とってもキツかった。
――プロ野球選手のセカンドキャリア問題は収入に落差があるだけですよね。
太田 そうそう。ちゃんと貯金しておけばいいだけで、こっちは貯金もできないから。だからレスラーの多くは自衛隊所属になるのがいいんです。食っていくには一番いい環境だし、勝ち上がっていけば自衛隊の中で位は上がっていく。定年が55歳と早いから、そこから第2の人生を探さなきゃいけないけど、レスリングに打ち込むには自衛隊はいい環境ですよ。自衛隊体育学校東京オリンピックのためにできたところで、オリンピックで勝つために練習だけ打ち込む。警視庁にも第6機動隊というレスリング班があって。そこも警務活動よりはレスリングに専念できるんです。
――アメリカにはそういうシステムはあるんですか?
太田 ないから、完全にスポンサー頼みなんです。個人が選手のスポンサーになる。勝たないとすぐに打ち切りだし、勝ち続けてもメリットがなければすぐに離れていく。レスリングと違ってアメフトやバスケットはたくさんスポンサーがつくんですよ。やっぱりそれだけ注目されるし、プロになれば何十億とか稼ぐでしょ。ところがレスリングは何もない。そうすると、年間5000万をポンと寄付するデュポンはレスリング協会にとっては非常にありがたい存在なんですよね。
――しかもチームを作って練習や生活環境も整えてあげて。
太田 そこで「なんで?」というクエスチョンがつくわけですけどね。映画でもデイブが「何が目的なんだ?」と言ってましたけど。
――UFCやPRIDEで活躍したダン・ヘンダーソンは、レスリング活動資金を捻出するためにMMAに出たわけですが、それほど切実だったわけですね。
太田 レスリングでも、フリースタイルは向こうで主流のカレッジスタイルに近いんですね。学校教育の中にカレッジスタイルが組み込まれているので、そこのコーチになれば食いっぱぐれることはない。
――フリースタイルの選手はカレッジスタイルを教えられるわけですね。
太田 そうです。でも、ダン・ヘンダーソンランディ・クートゥアグレコローマンの選手だから。アメリカでは「グレコローマンレスリングではない」とまで言われるんですよね。
――となると、ますます食っていく手段は限られるわけですね。
太田 ダン・ヘンダーソンもランディも友達だけど、彼らは「グレコローマンのためにMMAで戦ってた」と言っていたんです。「グレコローマンのためにも勝たないといけないんだ」って。MMAで勝ってグレコローマンの名前を上げてやろうと。それくらい彼らはグレコローマンをこよなく愛してるんですよ。
――MMAの歴史は、レスラーにとってアルバイトだったMMAが本業になっていく過程でもありますね。映画の中で時間軸を狂わせながらもMMAの存在をクローズアップしたのは、UFCの誕生がレスラーにとってエポックメイキングな出来事になったからなんでしょうね、
太田 いまは「自分たちの時代がやっときた」とモチベーションを高くしてやってますよね。ボクシングのヘビー級選手はあんなに稼ぐのに、レスリングのヘビー級はなんのお金にもならない。レスラーたちが注目されたのはUFCのおかげですよ。ボクもね、10年若かったら出てましたよ!(笑)。
――ハハハハハハ! それは見たかったです!
太田 35歳でオリンピックに出てるわけだからね。39歳のときアトランタの予選にも出て、そこで負けて引退ですけど。身体一つで儲けられるのは魅力ではあるよね。
――ソウル五輪金メダリストのケビン・ジャクソンは、レスリング協会のコーチ職を用意されたことで
UFCから身を引きましたね。
太田 アメリカのレスリング協会に行けば決まった金額はもらえるよね。いまのMMAはとんでもないお金を稼げるかもしれないし、稼げないかもしれない。そこは大きな賭けになってる。ランディなんて大成功を収めたけど、俺が1991年にオクラホマで会ったときランディはまだ学生だったんだよ。27歳の学生(笑)。
――UFCに出る前のランディに会われてるんですね。
太田  なぜ27歳で学生かというと、ランディは高校卒業したあとすぐに軍隊に入ったの。アーミーに配属されてドイツのほうにずっと行ってた。だからドイツ語はペラペラなんだけど。何年間して勤務してある程度のお金ももらったから、それで大学に進学したんだよ。学費がない人は軍隊に入ってお金を稼ぐわけ。ランディは軍隊に入ったときに奥さんも子供もいて、たしか19歳か20歳で結婚したはずですよ。
――MMAで人生が変わっていったわけですね。
太田 生活も派手になって離婚して。若い奥さんと2回目の結婚をしたんだけど、その方とも別れて(笑)。「もう結婚しない」とは言ってるけど、いまも若い子と住んでますよね。
――ダンヘンも一時期、浪費家になってしまって大変だったみたいな話を聞きますね。
太田 ダン・ヘンダーソンはホントは性格も地味なんですよね。
――荒れ地で住んで馬に乗って生活するような方ですよね。
太田 そうそう。牧場を経営してて馬を何頭も持っている。サンディエゴの山奥に住んでいて、家は自分で建てるような人間ですから。前に自宅に行ったとき庭に大きな穴を開けてるから「何をしてるんだ?」と聞いたら「プールを作るんだ」って。
――ハハハハハハ! 
太田 まあアメリカという国は自分で家を建てられるキットも売ってるから。いまランディはラスベガスにジムを開いて成功してるでしょ。みんなMMAで人生が狂ってしまったんですよ。
――彼らの活躍でレスリングの重要性が知れ渡りましたね。
太田 アメリカでは子供の頃からみんなレスリングをやってるし、レスリングの町道場もあるくらいなんですよ。でも、日本にそういう場所はないよね。急にレスリングをやりたいと思ってもできない。柔術MMAのジムでレスリングをやるところは増えてるんだけどね。
――町道場もあるくらいだと、アメリカではレスリングのコーチは職業として成立してるんですか?
太田 まず日本の話をすると、日本にはいまだにプロのコーチと言われる人が少ないんですよ。とくに柔道やレスリングは、みんな教員をやりながらコーチをやってる。コーチだけでお金をもらってる人はいないわけ。で、アメリカでは教員がコーチをやるわけではなく専業なんです。選手を勝たせることで給料をもらってて、フットボールのコーチなんて数千万の給料をもらってるんですよね。レスリングのコーチで一番儲ってる人で2500万くらいですよ。
――それは立派な職業ですねぇ。
太田 ただね、多くの人間はそんなに儲からない。だいたいはシーズン中の給料は10万20万の世界。シーズンオフの夏場はどうするかというと、サマーキャンプと称してトラックに荷台にマットを積んで「これから◯◯地方をレスリング教室で回る」と告知して子供たちを集めてレスリングを教える。子供の親たちも託児所感覚で預けるんですよ
――へえー(笑)。
太田 朝早くから夕方まで面倒見てくれるからね(笑)。そうやって何ヵ所も回るから、サマーキャンプのほうが絶対に儲かるんだよね(笑)。いまはMMAがこんなに大きくなってレスラーもお金を稼ぐ手段が変わってきてるけど。
 
長文のため後略<おしまい>