ベニスに死す(1971)

 
「覚えている。
 父の家にも砂時計があった。
 砂の落ちる道が非常に狭くて、最初はいつまでも上の砂が変わらずに見える。
 砂がなくなったことに気づくのは、おしまいのころだ。
 それまでは、だれもほとんど気にしない。
 最後のころまで。
 時間が過ぎて、気がついた時は既に終わってしまっている」
 
 
難解な映画です。
 
小津安二郎監督のローポジションな撮影スタイルは
畳みで生活していた日本的な生活をうまく映し出し
独自の様式美を創りだしていて高く評価されています。
 
ヴィスコンティ監督のカメラは
椅子に座った高さからのアイ・ポジション(目線)。
まるで主人公が眺めるそのままの風景、人々が映し出されます。
 
1911年の夏、ドイツ人で作曲家のアッシェンバッハは
心臓病の静養のためベニスへとやって来ました。
 
不愉快な旅
退屈なホテル生活
そんななか突然目の前に現れた美少年タージオ。
 
息を呑む
目が離せない。
 
ほとんど台詞のないダーク・ボガードの心情を
カメラひとつだけで語っていくのです。
 
アッシェンバッハにはかって美しい妻と可愛い娘もいました。
魅力的な娼婦と遊んだこともあります。
だけど彼が満たされることはなかった・・
 
彼はタージオと出逢ってしまったことで
自分の本来の性癖を発見してしまった
または気が付いていたけど
気持ちを抑えきれなくなったのです。
 
だけど話しかけることもできない、見つめるだけ。
ホモセクシャルで、少年趣味で、そして超マゾヒズム
そんなアッシェンバッハの気持ちを知ってか知らずか
時に妖しい視線を向けてくるタージオ。
 
伝染病の噂の真相を知ったアッシェンバッハは
理髪店で髪を染め化粧をします。
それはタージオの一家に
ベニスから一刻も早く去るように告げるためでした。
 
老醜な姿でタージオの前に姿を現すわけにはいかない
そんなひたむきな思い、かなわぬ愛・・
 
アッシェンバッハの死は、あまりにも滑稽で
惨めで、哀しい。
 
でも、それは他人から見た場合であって
彼自身にとっては、もしかしたら人生の中で
一番快楽を味わえたひと時なのかも知れません。
 
今の私にはまだ早い作品でした。
将来もう一度見たら、もっと素晴らしさがわかるような気がします。
 
いつかまた鑑賞するためにも
「お気に入り」に保存しておきましょう。笑
 

 
【解説】allcinemaより
掛け値なしに美しい映画だ。T・マンの原作ではギリシア神にも喩えられる少年タジオが現実にもいたせいだ。そのB・アンドレセンの美少年には主人公ならずとも、ヘテロの男性をも“その気”にさせる妖しさがあり、彼に出会えたことを“奇跡”と呼んだヴィスコンティの驚喜はよく分かる。彼とそして、全篇に流れる感傷的なマーラーの五番の第四楽章のお蔭で、この作品は耽美の極みに観る者を浸らせる。理想の美を少年に見出した作曲家アッセンバッハは、浜に続く回廊を少年を求めてさまよう。疫病に罹ってもなお、化粧をその顔に施させ、ヴェニスの町を徘徊し、やがて疲れた体を海辺のデッキチェアに横たえる。波光がきらめく。満足の笑みを浮かべつつ涙し、化粧は醜く落ちていく……。痛切な幕切れは同時にひたすら甘美だ。