アンダルシアの犬(1928)

 
 
偉大な映画です。
 
有名なシーンもいくつもあります。
ですが作品は初見でした。
 
これだけの名作、数えきれないくらいの批評や解釈があると思いますが
画像以外はなにも検索せず、他の情報は一切知らないまま
DVDの淀川長治さんの解説のみ参考にさせていただきました。
(恐れ多くも)私独自のレビューをしてみたいと思います。
 
私が感じたのは、とても男性的な作品であるということ。
死と恐怖への性的興奮。
 
私たち凡人は何かモノを作り出す時には
そこに理由や理屈がなければいけないけれど
天才というのは感覚こそがすべて。
閃きをどうにか形にする
「どうして?」なんて考えない。
 
最初の衝撃的な女性の眼球シーン。
身体のどこを傷つけられても痛いけれど
一番恐怖を感じるのは目と、性器のような気がします。
 
手のひらから湧く蟻、これは得体のしれない何者にか犯された感じ。
逆にもぎ取られた手、これは拘束したい
そんなブニュエル監督のサディスト的な
欲望なのかも知れません。
 
その手首を持った青年が車に撥ねられ死んでしまいます。
それを窓から見ていた男は興奮し、女の肉体をつかみます。
絶頂、死が男の官能を高める。
 
体毛は女性には(髪の毛以外に興味がないので)わかりにくいですね。
わきの毛が砂浜の雲丹になり、男の口になり・・
男性は雲丹からでも、クンニのような行為を妄想するのかな?と考えてみたり。
 
淀川さんのいうピアノの上の牛かロバ。
これも死体、目から血を流しています。
女性の目が切られるシーンと共通点があるのでしょうか。
目は喜怒哀楽の感情を示す道具でもあります。
 
私はこの牛のような動物は(シャガールの画に出てくる)
幻獣なのだろうと思いました。
重いピアノの上に乗った重い獣、繋がれた修道士
それを曳く男は、女を襲うつもりがなかなか前に進めない。
キリスト教的な)性欲に対する罰なのかもしれません。
 
グロテスクな映画。
だけど癖になる、そんな魅力があります。
暴力や死を求めるのは人間のもつ本質なのかも知れません。
残酷という快感。
 
DVDの最後にブニュエル作品は「煮ても焼いても食べれない」という
淀川さんの言葉がありましたが
私は逆にこの不味い、扱えない食材をどうにか調理してみたくなる。
 
この映画に意味はあるのか?と考える作品ではないと思います。
私たちがあたりまえに思っていることのほうにこそ
「意味」があるのかと問いかけているのです。
私たちが信じていることは、私たちがつくりあげた虚構かもしれない。
 
16分という長さで、これだけのことを想像させるというのは
やはり傑作なのでしょう。
 
お気に入りです。
 

 
【解説】淀川長治名画選集より
『アンダルシアの犬』 私たちは、これ観て、びっくりしたんですね。
これ、ブニュエルって人のね~監督作品なんですね。この人は、本当のシュールリアリズムの非常に、個性的な作品を出す人なの。
 で、「アンダルシア」に、ひっかかったのね。何だろう?『アンダルシアの犬』いうから、怖~い、スペインの怖~い映画かと思ったら、感覚映画で、全然思いもしない場面が、どんどん、どんどん、出てきたんですね。ブニュエルいう人のこの不思議な感覚。
 これを、ダリという絵描きが協力したんですね。だから、益々、益々、個性的になって、私たちは、これ観た時に、何だろう? 思ったのね。こんな映画、何だろう? 思ったのね。
 例えば、ピアノの上に、死んだ牛か、ろばがドターっと置いてあるのね。それだけの事。何だろう? けど、気持ち悪いんだね~。そうすると、又、女の人の目が出てきたのね。クローズアップで。それをね、指二本で、広げたのね。女の目がクリクリとむいたのね。そこ安全カミソリで、キャーと切ったのね。もうそれ観た時には、ゾーっとしたのね。
 そういう所ばっかりを集めて、私たちに、目から見る感覚の怖さね。それをどんどん、どんどん、あおらせたのね。『アンダルシアの犬』は、ダリの絵の、この不思議な不思議なグロテスクと、この監督の、なんともしれん、目の感覚ね、目で見て恐怖する。それを合わしてやったのね。
 皆、びっくりした。今なら、本当に行列で、並ぶくらいの美術、芸術的な作品ですけど、当時は、『アンダルシアの犬』は、一般にあんまり、歓迎されなかったね~。そういう映画ですけど、僕らは、『アンダルシアの犬』を観たという事で、ダリという人の感覚と、この監督のなんとも知れんシュールな感覚を、うんと勉強しましたね。
 そういうわけで、まあこういう風な映画が、当時、サイレントから、トーキの頃、良くあったのね。ルネ・クレールなんかもこういう感覚でしたね。
ルネ・クレールもまあパリの、色んな歩いている人が、パリのタワーの傍で、全部!ストップして、全部!止まっちゃうのね。そしたら、どうなるだろう? そういう映画を作ったり。色々そういうのがあって、それを、シュールリアリズムと言ったんですね。
 この監督の作品は、それを、もうどんどん、どんどん、奥深く、奥深い感覚作品で、みんなは、これで、映画というのは、こういう事も出来るんだな。文学では出来ない事をやるんだな~。目の感覚のこんな怖さも観せるんだな~いうので、そこが、勉強になりましたよ。