喜びも悲しみも幾歳月(1957)




昭和7年にたった一度のお見合いで結婚した
有沢四郎と妻のきよ子の
灯台守夫婦の20数年にわたる物語。

現在の灯台は自動化し無人化しているそうですが
かっては海の安全を守るために
どこの灯台にも灯台守が勤務していたのですね。

灯台に併設された家(官舎)に住み
国の管理のもと日本中の灯台を転々とします。
しかも人里離れた辺鄙な場所ばかり。
今のようにテレビもネットもないのです。
付き合う人たちも、同じ場所に住む同じ職業の人間だけ。
家族の不満が溜まるときもあるでしょう。

とくに前半の石狩灯台での生活は印象が深かったですね。
私自身北海道出身ということもあって
昭和初期はこのような生活をしていたんだなあと
興味深く鑑賞しました。

家を丸ごと覆い尽くすほど積もった雪。
玄関を開けたら雪の坂道を上って地上に出るのです。
車などない、馬にソリを曳かせ人間を運ぶ・・

日華事変から太平洋戦争、そして敗戦と激動の中
日本最古の観音崎灯台(神奈川県)、石狩灯台(北海道)女島灯台長崎県
弾埼灯台新潟県)御前埼灯台静岡県)、安乗埼灯台三重県
男木島灯台香川県)と勤務先は次々に変わります。

戦時中は家の屋根を迷彩にペンキ塗りしていたのですね。
次々とアメリカ軍の空襲で殉死していく仲間の灯台守。

敗戦、息子の死・・四郎ときよ子はいくつもの悲しみを乗り越えます。
やがて娘は嫁に行き夫婦ふたりきりになる・・

こんな離島を転々とした生活
現在なら間違いなく単身赴任
妻は決して夫にはついていかず実家で過ごすでしょう。笑

でも当時はこうして苦労して、身を犠牲にして、家族を支えるのが
妻の、女性の、勤めであり
理想像だったのだと思います。

奥さんさえ我慢すれば結婚生活はうまくいく。

私にはまだ見るのには早い作品でした。
あと10年、20年後に観賞したなら
涙が止まらない作品になっていたのではと思います。
転勤族の大変さは一応知っていますし。笑

いつか子どもたちが進学や就職で親元を離れたとき(できるかな?)
いつか結婚するとき(できればいいな)
もういちど見てみたい、そんな作品でした。



【解説】ウィキペディアより
海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。
1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績の妻・きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。全編に渡りカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、公開当時大ヒット作となり、同年の芸術祭賞を受賞した。
若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。
観音崎御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国でロケーション撮影を敢行し、ロードムービーの一種としても楽しめる作品である。
後年、3度に渡りテレビドラマ化されたほか、1986年には木下監督自身により時代の変化を加味したリメイク版『新・喜びも悲しみも幾歳月』も映画化されている。