髪結いの亭主(1990)


 
 
クロスワードは女と同じだ
 攻略法難解なれば悦びまた多し」
 
以前、宮本輝さんの「彗星物語」という小説を読んだことがあります。
小学生の男の子と年頃の女の子のいる家庭に
留学のためハンガリー人の青年がホームステイをする物語でした。
男の子の身体や性の成長、留学生の女性との交際にとまどう母親に
祖父は男性の「性のめざめ」の話しをします。
そしてその「性のめざめ」は10代の身体が変化をはじめる頃だけでなく
40代か50代かいつになるかはわからないけれど
男性にはもう一度やってくる・・というのです。
 
この作品も12歳の少年と
初老になった男性のふたたびの性のめざめの物語なのだろうか
そんなふうにも思えました。
 
12歳のアントワーヌは床屋の女性に夢中です。
寝ても覚めても彼女の香りや肉体のことばかり考えています。
そして将来は女性の床屋さんと結婚すると心に誓います。
 
そして理想の女性、マチルドと出逢います。
顔も身体もしぐさも笑顔も彼女は彼にとって完璧。
 
アントワーヌ目線のカメラは
マチルドを舐めるように撮影します。
脚、身体のライン、裸を想像させるような着衣。
それは視線というよりも視姦。
 
「約束して
 愛してるふりだけは絶対しないで・・」
 
この物語はアントワーヌの妄想か夢想なのでしょうか。
毎夜のごとに求めあうふたり。
外から丸見えの仕事場で愛し合う
客に応対中の彼女の下着を脱がす・・
これはもう夫婦でするセックスではないでしょう。
(たぶん。笑)
 
マチルドの死は妄想の終わりなのです。
そしてアントワーヌが現実に戻る瞬間なのです。
 
マチルドを現実に存在する女性と考えたら
彼女はなぜ自殺してしまったのでしょうか?
 
「バニラ風味のレモン」
アントワーヌの中にある違う女性の潜在に気が付き
嫉妬したのでしょうか。
 
それとも「女」でなくなることを恐れた。
母として妻としてなら老いても存在する価値があるけれど
「女」には終わりがくるのです。
アントワーヌが求めているものは母でも妻でもない、自分の理想の「女」。
愛されなかったら死んだほうがいい・・
 
裸足で雨の中に飛び出した彼女を
なぜアントワーヌは追いかけなかったのだろう・・
 
難解でしたが色っぽい映画でしたね。
アントワーヌの踊りはいただけなかったけど。笑
 

 
【解説】allcinemaより
子供の頃から女の理容師と結婚したいという願望を抱き続けて来たアントワーヌは、中年にさしかかった頃、ようやくその夢を実現する。妻のマチルドは、優しくて綺麗で、アントワーヌは念願の妻を娶った事に満足し、十分に幸せな日々を送っていた。そして10年、この愛は何事もなく平穏に過ぎてゆくが……。主人公の妻を演じるアンナ・ガリエナのエロティシズム溢れる妖艶な魅力や、主人公演じるジャン・ロシュフォールの個性的な魅力が光る佳作。ストーリーも独特の味を持っていて、公開当時は日本でも大ヒットした作品である