ホームワーク(1989)

原題は「مشق شب(宿題)

アッバス・キアロスタミの「友だちのうちはどこ?(1987) の次に

制作されたインタビュー・ドキュメンタリー

イラン政府の検閲と妨害により映画製作が困難ななか

「子供の話なら可」という条件で撮影許可がおりたそうです

小学校を訪問したキアロスタミ

宿題を忘れた子どもたちに、できなかった理由を

尋ねるだけの内容なんですが(笑)

監督の教育現場に対する疑問を浮き彫りにしていきます

テヘランの小学校(男の子だけ)

まず朝礼での合唱に驚きます

イスラムは勝つ!」

「西と東を倒せ!」

フセインをぶっ殺せ!」

フセインは地獄に堕ちろ!」

と声高らかに歌うのです

イランの教育制度は主に「音声教育」と「暗記教育」

教科書は声に出して読み、すべて丸暗記しなければならない

なので学校の授業だけでは足りず、宿題がいっぱい出るわけです

でも授業で覚えきれていかったり、まだ習っていない箇所は

音読ができないし、書き取りもできない

だから親や兄や姉など年長者に

教えてもらわないといけないのですが

宿題ができなかった子たちの多くは

両親が読み書きできないため教えられなかったり

(監督のアンケートでは37%の親が文盲)

父親や兄が教えてくれたとしても

遅いとか、間違っているとぶたれたりして(しかもベルトで)はかどりません

顔に傷のある子もちらほら

それを黒いサングラスをかけた強面の監督が

なぜ忘れるの?忘れたらどうなる?

罰を受けるの?ご褒美はしってる?と

口調こそ柔らかいけれど、理詰めて質問してくるわけだから

これじゃ刑事の取り調べ(笑)

何か間違いを言ったらぶたれるのではないかと怯え

こどもたちは大きな声ではっきり答えられない

それでも健気に答えていきます

テレビで見るアニメはディズニー作品のようです

ヨーロッパ系の顔立ちの子も多いので違和感ないのでしょうね

成績の良さそうな子(ちょっと裕福そうな子)は堂々としています

将来なりたい職業もきちんと言える

しかもテレビだけじゃない、映画館に行くと言います

キアロスタミが「なんの映画を見たの?」聞くと

少年はイラク人の捕虜になったイラン人を助けるお話と答えます

いわゆるプロパガンダ映画ですね

「喧嘩と戦争の違いはなに?」

「相手を殺すことかな」

生まれた時から国が戦争しているわけだから

子どもがこう答えるのもあたりまえ

いまなら子どもでもスマホPCを使いこなし

あらゆる情報が手に入るでしょうが

大人のの言うことが世界の全て

子どもや自分の考えを持つことは許されない時代だったのです

だからといって、日本人にイラン人を批判する権利はありません

戦争中は日本の子どもたちもイランの子どもたちと同じ

教育は男女で別れ、男尊女卑

できない、わからない、反抗したら、親や先生に殴られる

自由な思想や表現は愛国に背くと教え込まれていたのだから

私は宗教や文化の違いで、考え方が違うことは否定しませんが

この純真無垢な子どもたちが将来、大人になったとき

自分の子どもを同じように殴るようになるのかと思うと悲しい

それは監督も同じだったと思う

子どもたちの顔を正面から映すカメラは小津監督を思わせますね

そのカメラマンの顔を正面から映すもう一台のカメラ

 

西側の教育制度や、かっての日本の詰め込み授業を語る先生と

(実際は先生の言葉でなく、イランの教育学者によるものらしい)

昔とは勉強のやり方が違うので教えられないという父親は

100%ドキュメンタリーではなく)監督の演出でしょう(たぶん)

体罰のせいで、大人の前では友だちがそばにいないと泣いてしまう少年も

泣き虫少年が、詩を立派に暗唱するシーンで映画は終わり

少し逞しくなった姿に私たちは救われる気持ちになりますが

それは敵国を撃破することへの神の教えを謳ったもの

 

キアロスタミって、なんて意地悪(笑)

日本では1951年(昭和26)児童憲章が制定

ご存じない方もいるかも知れないので、序文だけ紹介します

ひとつ、児童は人として尊ばれる

ひとつ、児童は社会の一員として重んぜられる

ひとつ、児童はよい環境のなかで育てられる

 

神の言葉をどう捉えるかは人間の解釈次第

だけど子どもたちが、神から授かった命だということも

忘れてはいけません

彼らは地球の将来を担う宝なのだから

 

 

 

【解説】KINENOTEより

子供たちにとっての宿題とは何かを問いかけることを通して、現代イランの小学校教育と社会の問題をさぐる映像リサーチ。監督・インタヴュアー・美術・編集は「クローズ・アップ」「オリーブの林をぬけて」のアッバス・キアロスタミで、同監督が一躍国際的な注目を浴びた「友だちのうちはどこ?」の次作にあたる。撮影はイラジ・サファヴィ、モハマド・リザ・アリゴリ、録音はアハマッド・アスカリがそれぞれ担当。撮影は87年に、テヘランのジャヒッド・マスミ小学校で行われ、メインとなるのは小学校の一室に設けられた仮設スタジオで撮影された、キアロスタミ監督自身による子供たちへのインタヴュー。子供の話と、保護者を対象に行ったアンケートで、全体の四割弱にもおよぶ親が非識字者で子供の宿題をみてやれないこと、また教育のある親でもイスラム革命で教育システムがまったく変わってしまったために話が通じず、勉強を教えようとすると逆に混乱すること、それに家庭教育ではかなり激しい体罰がまだ横行していることなどが明らかになる。また暗記中心の詰め込み教育で、宿題の量も多く、子供たちにはかなりの負担になっていることが分かってくるといった内容が語られている。

友だちのうちはどこ?(1987)

原題も「خانه دوست کجاست ؟」(友だちの家はどこですか?

友だちの宿題ノートを間違えて持ち帰ってしまった少年が

ノートを返すため友だちの家を探しにいくという

ただそれだけのシンプルなストーリー

 

アッパス・キアロスタミ小津安二郎のファンを公言していて

「イランの小津」と呼ばれているだけあって

子どもの描き方がうまい

大人たちの姿は昭和の親父とも重なります

子どもの頃の、先生や親に対する理不尽な思いと

親になってからの、ちゃんと子どもの話を聞いていたかという

複雑な気持ち

でも最後の10秒で救われます

映画史に残ると言っていい素敵なラスト

イラン北部コケル村の小学校

アハマッドの隣の席のモハマッド・レダ・ネマツァデは

ノートに代わりに紙切れに書いてきた宿題を出します

先生は理由を尋ねることなくモハマッド・レダを叱り

今度が3回目だ、次にノートを忘れたら退学だと宣言します

アハマッドが家に帰り宿題をやろうとすると

鞄の中には自分のノートとモハマッド・レダのノート

モハマッド・レダのノートを一緒に持ち帰ってしまったのです

早く返しにいかないと彼が退学になっちゃう

だけど母親は友だちの所に遊びに行きたいのだろうと

「宿題が先」「赤ちゃんにミルク」

「ゆりかごを揺らして」「パンを買いに行って」と

いくら事情を説明してもわかってくれません

アハマッドはノートを持ち、隙をみて

モハマッド・レダの家のあるポシュテという村まで走ります

でも誰もモハマッド・レダもネマツァデの家も知らない

偶然クラスメイトのモルテザに会うと

ハネヴァル区に住む従弟の家なら知ってると教えてくれます

ハネヴァル区に着くとモハマッド・レダのと似たズボンがかかっていました

でもおばさんはネマツァデは知らない、これは孫のだと答えます

モルテザから聞いた従弟の家と思われるドアをノックすると

近所の住民が「ついさっきコケルへ行ったよ」

「見えるだろ」と遠い坂道の下の人影を指さします

えー、コケルから来たのに(笑)

大急ぎで来た道を戻るアハマッド、すると祖父に見つかり

友だちにノートを返すためポシュテに言ったことを伝えると

祖父は家から煙草を取ってくるよう命令します

しかし祖父は煙草をもっていて、友人にこれは「しつけ」だ

「小遣いをもらったことは忘れても、げんこつをもらったことは忘れない」

と説明します

アハマッドが「タバコはなかった」と戻ってくると

修理にやって来たドア職人が請求書を渡したいので

アハマッドが持っているノートを1枚くれと言います

いくら「友だちのノートだから」「先生に怒られる」と断ってもだめ

男はノートを取り上げ1枚破り請求書を書きます

しかしそのことで男の名前がネマツァデだとわかり

アハマッドはネマツァデさんですか」と何度も聞きますが

男は無視しロバに乗って去ってしまいます

男とロバを追い再びポシュテに走るアハマッド

が男の息子はモハマッド・レダではありませんでした

僕はネマツァデだけどハネヴァル区に「ネマツァデ」はたくさんいる

たぶん鍛冶屋の近くの家だと教えてくれます

鍛冶屋を探しているとやがて日は暮れ

アハマッドに気付いた老人は、さっきまでネマツァデは家にいた

家まで案内しようと言います

 

ここからおじいちゃんのドアと窓枠の話が延々と続く(笑)

そのうえ歩くのが遅いし、休憩して顔を洗い、花を摘み

夜は更けアハマッドはちょっとイライラ

しかもおじいちゃんの教えてくれた家は

モハマッド・レダの家じゃなかった

でもおじいちゃんに言えなかった

 

お腹にノートを隠し、パンを買いにいかなきゃと説明します

おじいちゃんは「もうパン屋は閉まっている時間だ」と言うけど

急いで帰らないと怒られる

でも犬の鳴き声が怖くて結局おじいちゃんを待つ(笑)

ノートを返せなかったアハマッドは落ち込んでいます

お父さんにも相当叱られたのでしょう、食事も喉を通らない

ひとり真夜中に宿題を始めます

そっと食事を置いて「終わったら電気を消して寝なさい」と

声をかけるお母さん

 

でも相当疲れたのでしょうね(笑)

翌朝、教室にアハマッドの姿はありません

紙切れに書いた宿題を出してうつ伏せるモハマッド・レダ

先生が後ろの席から順に宿題をチェックしている

もうだめだ・・

その時アハマッドが遅刻してやって来る

宿題を済ませてきたよ

「よろしい」とモハマッド・レダのノートに丸をつける先生

 

この映画の素晴らしいところは

幼いながら世の中のどうにもならないことに立ち向かい

自分で解決策を見つけるというところですね

それも自分のためじゃない

友だちを助けるため

イラン映画は厳しい検閲があることで有名ですが

体制批判的でありながら、あえてそれをうまく利用したというか(笑)

「規則を遵守する精神を教えるため」

「理由がなくても殴る、そうやってよくしつける」

「大人の言うことはだまって聞け」という精神論を前面に出している

抵抗したいけれど、親や目上の人を尊ぶことのほうを選ぶ子どもたち

 

そんな中にも「人情」や「やさしさ」はある

それを一輪の花で表現する巧さよ

ひとつひとつのショットが美しく、本当に善い映画

「お気に入り」を献上いたします


【解説】淀川長治の銀幕旅行より

「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく」 ともにイラン映画で監督は同じアッバス・キアロスタミ。イランがどこにあるのか調べるといい。各国各地の映画が訪れて“人間”は同じということを知る。これほど平和を生むものは他にはない。
「友だちのうちはどこ?」はイランの北の田舎の小学校。まず先生がよろしい。太ったオッサンがやっこらさと教室に来て上着を脱いで「お前ら宿題をしてきたか」という調子。一目でこの50歳くらいの教師が好きになる。みんなのノートを見る。すると一人の子のノートがない。先生、じっくりと叱(しか)りつける。その子、泣きそう。さてその隣の席の男の子が家に帰って自分のかばんを開けると、あのノートがなくて叱られた同級生のノートが自分のかばんの中に。びっくりしてこの少年がその友だちの家を探す。これがこの映画。
思わず画面に見とれるのは、この少年の家、この家の庭で宿題をノートに書くこの少年。すべてキャメラはドキュメント・タッチ。本当にこの監督はここの村人を使って撮影。井戸端で女たちが洗濯。「オーケー、ただしもう一度、今度は本番」。すると女たちは「もう洗濯したじゃないか」とぼやく、まったくの撮影知らず。
ところでこの友人の家探しが見るも素晴らしい。行けど探せどその家、見つからぬのだ。村の人に聞くと「あちらじゃ」「こちらじゃ」、少年はぐったり。その道、その家、その人がいいのだ。“人”が生きている。本物なのだ。
このあと3年、この監督、今度は地震で崩れたこの村の家を、パパの運転で子供があちこち探し回るというそのロード・ピクチュアが「そして人生はつづく」。崩れた石の塊の下の家の屋根を「友はどこ」「知人はどこ」と探すパパと子。途中疲れてコークを買う。店の人はいない。ゼニをそこに置いてゆく。イランの太陽が目にしみ、風がほほをなでる。映画とは本当、これなんだ。まだ汚れないこの撮影。そして人間がここに生きている。涙がこぼれた。

黒蘭の女(1938)

「女には淑女と娼婦が同居しているからな」

原題は「JEZEBEL(ジョゼベル)

旧約聖書に出てくるイスラエルの王アハブ(異教徒)の邪悪な妻の名で

転じて悪女 、恥知らずな女という意味

1852年黄熱病騒ぎのニューオーリンズ

自身のパーティに遅れ、しかも乗馬服で現れた

我儘で自由奔放で強欲な名家のご令嬢ジュリー

馬に横乗り、ロングドレスの乗馬服の裾を翻して登場する

ベティ・デイヴィスのかっこよさよ(笑)

カメラはアーネスト・ホーラー

恋人のプレストン(ヘンリー・フォンダ)は銀行家で

鉄道開発の重要な会議のため、パーティに出席できません

そのことは許せるけど

婚約発表をするための舞踏会で着るドレスの買い物に

付き合わないのは許せない

ジュリーは当てつけに白いドレスではなく

(売春婦が着る)真っ赤なドレスを来て舞踏会に向かいます

軽蔑の眼差し、ヒソヒソ話

あきれ果て何も言わないプレストン

ジュリーは自分のやりすぎで、プレストンの心が離れたことに気付きます

婚約を解消し北部に旅立つプレストン

1年後黄熱病がまん延、叔母のベルと別荘に引っ越したジュリー

そこにプレストンが帰ってきます

どうにかヨリを戻そうと、必死にけなげな姿で謝るジュリー

しかし時すでに遅し、プレストンは北部の聡明な女性

エイミー(マーガレット・リンゼイ)と結婚していました

さすがモノクロの「風と共に去りぬ」(1939)と言われるだけあって

プロットはよく似ていますね

とはいえ製作費3倍の「風と共に去りぬ」の壮大さには及ばず

さらにクラーク・ゲーブルレスリー・ハワード

オリヴィア・デ・ハヴィランドに比べて脇役のインパクトが弱い

ヘンリー・フォンダもマーガレット・リンゼイにしても

魅力が活かされていません

エイミーがどのような女性で

どうしてプレストン愛し合うようになったのか

一切説明がないので感情移入しにくいのです

南部の奴隷制度の上に成り立っている白人の生活の描き方や

(黄熱病患者を運ぶ馬車の御者、看護や死体処理は皆黒人)

倒れたプレストンを看病するヒロインの

力強さはこちらが上でしょう

クライマックスはジュリーがエイミーに

プレストンの島流しに付き添わせてくれと懇願するシーン

ウィリアム・ワイラーといったら階段の男だけど(笑)

上の段でジュリーを見下ろす北部女と

彼女を下の段から見上げるジュリーの演出の巧さ

彼が愛しているのは妻たる貴女なのはわかっている

だけど南部では黒人を使えないと生きていけない

私に償いのチャンスを与えてほしいと訴える

一緒に死ぬことをいとわない人間にノーと言えない

賢いエイミーはジュリーの命をかけた愛に

敗北したことを知るのです

「必ず彼を取り戻す」

馬車の荷台で瀕死のプレストンを抱くジュリーの姿に

何の後悔もありませんでした

ベティ・デイヴィスは「風と共に去りぬ」からのオファーに

心残りがあったそうですが

スカーレットにはヴィヴィアン・リーしかいなかったし

ジュリーにはベティ・デイヴィスしかいなかったでしょう

結局人間は変わらない

禍々しくも奥深い人間ドラマの傑作でした

 

 

【解説】KINENOTEより

主演は「札つき女」「或る女」のベティ・デイヴィスで彼女はこの演技によって1938年度のアカデミー女優演技賞を獲得した。原作はオウエン・デーヴィス作の戯曲で、「札つき女」「黒の秘密」のアベム・フィンケルがジョン・ヒューストン及びクレメンツ・リプリーと協力脚色し、「この三人」「孔雀夫人(1936)」のウィリアム・ワイラーが監督に当り、「或る女」「Gガン」のアーネスト・ホイラーが撮影した。主演のデイヴィスを助けて「或る女」「北海の子」のヘンリー・フォンダ、「山の法律」「潜水艦D1号」のジョージ・ブレントが相手役を勤め、「緑の灯」「高圧線」のマーガレット・リンゼイ、「或る女」「悪の挽歌」のドナルド・クリスプ、「明日は来らず」「偽装の女」のフェイ・ベインダー、「さらば海軍兵学校」のリチャード・クロムウェル、「恋愛合戦」のスプリング・バイントン、「潜水艦D1号」のヘンリー・オニール、「高圧線」のジョン・ライテル、新顔のジャネット・ショウ等が助演している。

ニューオリンズで指折りの名家に生まれたジュリーは伯母ベルに育てられ、若く美しく気の強いわがままな娘となった。1850年代の普通の娘とは違って、彼女はまるで現代の女性の如く因襲に促われないのであった。勤勉で向上心に燃える青年銀行家ブレストンと、酒飲みで傲慢で射撃に巧みな西部の伊達者バックの2人が彼女に求愛していたが、謝肉祭の最終日に催される舞踏会の夜に、ジュリーとブレストンの婚約が発表されることになった。彼女は零の如くわがままを発揮して婚約披露会には乗馬服で出席し、その後の舞踏会には売笑婦の着る赤い着衣をつけて出ようとした。ブレストンはその不真面目を責めたが、ジュリーは彼の臆病を笑うので、意を決した彼は赤い着衣の彼女を連れて舞踏場に現われた。2人が踊ると果して満場の紳士淑女は、眉をひそめて踊りを止めてしまった。ジュリーは初めて恥ずかしさを覚えて踊りを止めようとしたが、ブレストンは承知せず最後まで踊ると彼女を家まで送り届けて、2人の婚約は解消だと告げて北部へ去った。前にもそんなことがあったのでジュリーは気にもとめないでいたが、ブレストンは今度は1年も帰らなかった。ニューオリンズの町に黄熱病が流行して銀行が手不足になったので、ブレストンは無理に呼戻された。心から彼を愛しているジュリーは、白い衣装を身につけて彼に許しを乞おうとしたが、意外にもブレストンは北部生まれのエミイを妻として紹介した。ジュリーの愛情はたちまち恐ろしい嫉妬と変わった。彼女はバックをそそのかしてブレストンと決闘させようと計った。次第に不和になった2人がまさに決闘せんとした時、銀行頭取が黄熱病で倒れた報せが来てブレストンは出発した。バックの態度を怒ったジュリーの弟テッドが彼に決闘を申込んだ。そして命を失ったのは射撃の巧みなバックだった。人々はみなジュリーから離れ、彼女のことを淫婦の意である「イゼベル」と渾名した。その頃ブレストンも黄熱病に倒れたと聞いて、ジュリーは警戒線を突破して彼の許へ行った。患者はらい患者を隔離した島へ送られる規則である。ジュリーはリヴィングストン博士に嘆願して、ブレストンと同行することを乞うた。ブレストンの妻エミイも悔悟したジュリーの激しい献身的な愛を知って身を引いた。こうしてジュリーは憔悴しきった愛人ブレストンに付添い、危険な悪疫の島へ渡って行ったのである。

 

袋小路(1966)

原題も「CUL-DE-SAC」(袋小路=行き詰まり)

クラッシック映画の名作を見て思うことは

とびきりの美人女優が出ているだけで傑作になること

その役がアバズレだろうがビッチだろうが

可愛い小悪魔にしか見えないことを、名匠はわかっている

ロケ地はイングランドの北東海岸沖にある潮汐(ちょうせき)の島

リンディスファーン(ポランスキーは「マクベス」でも撮影に使っている)

潮汐とは満潮時に通路が水没する自然の孤島で

有名なのはベネディクト会修道院のあるモンサンミッシェル

 

そんな古い城付きの島を、若くて美人で自由奔放な後妻と

ふたりきりで暮らすために買った元工場主のアマチュア画家

(島を買ってお金がなくなった)

でも退屈な奥さんは若い男の来客があれば浮気しています(笑)

そこに銀行強盗に失敗したアメリカ人のギャングがやって来て

夫婦を振り回し、自分も振り回されるという

プチ「ストックホルム症候群」のブラック・コメディ

(シュールで笑えないけど 笑)

故障した車を押す片腕に傷を負ったディッキー(ライオネル・スタンダー)

運転席には背中に銃弾を受け動けない相棒アルビー

ディッキーはボスに助けを求めるため、ひとり電話を探しに行き

丘の上にある城を見つけます

そこでディッキーは食料を漁り、疲れて眠ってしまう

(その間満潮がアルビーを襲う)

城の主人ジョージ(ドナルド・プレザンス)と

若妻のテレサフランソワーズ・ドルレアック)が帰り

コスプレプレイに夢中になっていると、不審な物音

我に返ってボスに電話するディッキーと鉢合わせ

(ボスは電話に出ず、代わりの仲間が "好きにしろ" と伝言)

ディッキーは夫婦に銃を振り回し

アルビーを迎えにいくことを強要します

なんとか島まで運んだものの瀕死のアルビー

慎重で臆病なジョージと、好奇心旺盛なテレサ寝室に閉じ込められますが

窓から抜け出したテレサは酒を持ち、墓穴を掘るディッキーを手伝います

翌朝アルビーは死んでいました

アルビーと一緒にジョージを埋めようと悪戯するディッキー

海に泳ぎに行く自由なテレサ

 

ヘリコプターが飛んでくると「ボスだ」と喜ぶディッキー

あれは毎朝飛ぶ巡回だと説明するジョージ

 

車が来れば「ボスだ」と喜ぶディッキー

それはジョージがあまり歓迎していない友人一家

 

沖にボートが到着すると、ついに「ボスだ」

現れたのはテレサの愛人(笑)

来客の前でテレサはディッキーを「リチャード」と呼び

お酒を出して、場所は知ってるわね

料理を作って、と言いたい放題

ディッキーも臨機応変に奥さま、旦那様

腕を怪我してチキンは無理、オムレツならと答えます

テレサは来客の若旦那とイチャイチャ

若奥さんはサングラスで無言のジャクリーン・ビセット

小僧は憎たらしい悪ガキ

テレサと海老捕りに行きたい間男

ジョージもディッキーもストレスMAX

ブチ切れて彼らを追い出しますが

切られた電話線や

悪ガキが持ち出したライフル(弾は抜かれてる)が

うまい伏線になっています

 

いつまでたってもボスが来ないことに苛立ったディッキーが

もう一度連絡をしようと、電話線を繋ぐのに必死になっているとき

テレサはディッキーの上着から銃を盗み

ジョージに撃ってと命令します

一方繋がった電話の先で、ディッキーは仲間から

ボスは来ないことを知らされます

テレサが「アイツに襲われた(犯された)」と嘘をついても

ディッキーを襲えないチキンなジョージ

 

さすがに高級車を盗み本土に帰ろうするディッキーと

喧嘩になったとき(妻より車かよ)思わずジョージは発砲

重症を負ったディッキーは鶏小屋に隠した車から

トミーガン(古いマシンガン)を取り出し銃口を向けます

テレサを盾にしようとするジョージ

(これが本当のレディ・ファースト 笑)

が、ディッキーはそのまま倒れ

のび太ジャイアンを偶然倒したってやつ)

正当防衛よ、城を捨てて逃げましょうと説得するテレサ

でもジョージはショック状態で思考が働かない

そこに突然車が近づいてきます

今度こそ本当にボスが来たかと、食器棚に隠れるセシル

それはライフルを忘れた昼間の若旦那でした

セシルはイカれた旦那を置き去りにし

警察に通報するため去っていきます

 

ひとり残されたジョージは潮が上昇していく岩の上に座り

(前妻の名前)アグネスを呼んでいました

美しい若妻を手に入れるため、何もかも捨てたはずのに

最後に会いたいのは古女房という皮肉

女はこんな裏切り男、二度と会いたくないけどね(笑)

 

逆にディッキーは粗野な極悪人だけど

すでに手遅れの相棒を助けようとしたり

(双眼鏡やラジオを持ち出すのも相棒のため)

自分たちを捨てたボスを待ち

全裸同然の人妻を目の前にしても、性欲の対象にはしません

少年のようにピュア

初期のポランスキーは(ヴィスコンティもだけど)

禁断へのチャレンジ

正統的な映画の美学を目指しながらも

「ありきたり」を徹底的に拒否する願望に駆られたそうです

 

16ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞

そして冒頭でも述べた通り、とびきりの美人女優が出ているだけで傑作

フランソワーズ・ドルレアックの ファム・マタールぶりが

何より本作を引き立てています

バスローブとか、ジーンズとニットだけで

なんでこんなにカッコいいんだ(笑)

服はブランドでなく、体系やストーリーで着るって本当

 

25歳の若さでの交通事故死は、ただただ惜しい

もっとたくさんの主演作が見たかったですね

 

 

【解説】allcinema より

ポランスキーの長篇三作目はいよいよ神経病めいて、この作家は本性を露にしている。満潮時には外界と遮断される孤島の古城に若く美しい妻(ドルレアック)と住む初老男(プレザンス。不気味に好演)。この閉ざされた世界で理想の暮らしを営もうというわけだが、そこへ見るからに凶悪そうな面相の何やらしでかして逃亡中の男(スタンダー)が瀕死の相棒を連れて闖入。この浪藉者にしたい放題されてただ黙っている主人に女房の方はとっくに愛想を尽かしており、島に遊びに来た一家の青年と密かに通じている。悪漢は意外と素朴な所もあって、妻と泥酔したりするクセに手を出しはしない。けれども、彼女は夫に彼を殺させ、半狂乱の夫を置いて島を出て行ってしまうのだ。現代人のナントカと説明をするのも空しい。この歪んだ人間把握は全くポランスキー独自のものだ。モノクロの映像美が秀逸。

郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942)

「靴を履いて寝るのは死人だけだ」

原題は「Ossessione」(妄執

原作はジェームズ・M・ケインの「The Postman Always Rings Twice

郵便配達は二度ベルを鳴らす 1934

しかし原作者の許可を得ることなく、違法に映画化

公開数日で上映禁止となり

二次大戦中はネガをナチに没収され(戦後ヴィスコンティ自身が復元)

長らくヴィスコンティの「幻の処女作」と呼ばれたそうです

 

1946年版、1981年版はアメリカ映画だけに

終盤は裁判、弁護士の役割が大きいですが

こちらは法律抜き(笑)

自由を求める男と、安定を求める女

女の凄さと男の落ちていく感じのさすが

ヴィスコンティらしい同性愛的なシーンもあります

そしてジョン・ガーフィールドジャック・ニコルソンに比べて

マッシモ・ジロッティの色気のあること

マーロン・ブランド似で「馬のような肩」を持つ男(笑)

情欲に捕らわれた人妻が気を惹こうとするのもわかる

でもその彼が意外にも儚く、あっけなく壊れていくんですね

しかも自分だけじゃなく相手まで苦しめるダメンズ(笑)

北イタリア、ポー川沿いのガソリンスタンドに停まったトラックの

荷台から降りてきた放浪者がリストランテに入っていきます

厨房から聞こえる女の歌声、男を見たときの女のはっとした顔

男は食事はあるかと勝手につまみ食いして小銭を払い出ていきます

女は小銭を隠し太っちょの旦那に無銭飲食だと彼を追わせると

女の意思を悟った男は、飲食代の代わりに車を修理すると言いました

太っちょが部品を取りに行っている間(さらに釣りのため寄り道)

ジーノは女ジョヴァンナと寝室を共にします

なんて早い(笑)

ジョヴァンナは旦那のブラガーナが召使いのように働かせ

ケチだし気持ち悪いと愚痴をこぼします

確かにブラガーナは年上のデブで、家庭より男同士の付き合いを優先

モラハラなところはありますが、それほど酷い男じゃない

ジーノをしばらく雇おうとするお人好しだし

妻のことを考え(保険金をかけているニュアンス)

子どもも欲しがっている

日雇いで身銭を稼いできた根無し草のジーノは

広い世の中は知ってるかもだけど、結婚については無知

ジョヴァンナの言葉を真に受け、駆け落ちして旅に出ようとします

だけどジョヴァンナはすぐに引き返してしまう

いくら旦那のことが嫌いと言っても、彼女にとって大事なのは

安定した生活とリストランテだったのです

ひとり列車に乗るジーノ、だけどキップもお金もない

すると旅芸人で「スペイン人」と呼ばれる男が助けてくれます

彼はお金が入ったら困ってる人のために使う

宵越しの金は持たない主義

ジーノから女との事情を聞いたスペイン人は

一緒に仕事をしようと誘います

 

ベッドのランプを消しマッチをすり

ジーノの背中をそっと眺めたあとタバコに火をつけ消す

翌朝起きるとジーノがいなくなっている切ない表情

お祭りで偶然ジョヴァンナとブラガーナに再会したジーノが

友達を会うと言ったときそっとお札を1枚を渡し

そして祭が終わっても戻ってこないジーノを探すのでした

この一連のシーンは美しい(ホモ臭さ満開だけど 笑)

一方ブラガーナの「のど自慢大会」に付き合うことになったジー

ブラガーナの歌ったアリアは拍手喝さい、シャンパンを飲み気分も最高

帰り道、酔っ払ったブラガーナと車の運転を交代するジー

「どこだ」「500メートル先よ」

 

翌朝、横転した車とブラガーナの死体

警察の事情徴収を受けているジー

警察は目撃者のトラックの運転手の

車から飛び降りたというジョヴァンナが

「帽子をかぶりバックを持っていた」という証言を不審に思いますが

特に取り調べることなくふたりを放免します

ここからリストランテの経営に意欲を燃やすジョヴァンナと

罪の意識に苛まされるジーノに溝が生まれていきます

ジョヴァンナは働き者で経営の才能もあるんですね

音楽隊を呼んでパーティを開けば店は大繁盛

ジーノは完全にヒモ状態

だけど彼女の食事の仕方から育ちがわかる演出の巧さ

 

そんなときスペイン人が会いに来てくれました

嬉々として駆けだすジー

スペイン人は旅に出ようと誘いに来たのでした

でもブラガーナを殺したストレスと

「おまえは自分が分かっていない」と言うスペイン人のひとことで

カッとなったジーノはスペイン人を殴り、怒ったスペイン人は去り

我に返ったジーノは追いかけますが、彼に声は届きませんでした

一部始終を見ていた刑事はスペイン人を取り調べ

目撃者のトラック運転手(2人組)を、もう一度呼び証言させます

ジーノの逮捕の決め手にはなりませんでしたが

警察はジーノを尾行することにしました

 

町に出たジーノは編み物をするアニタという女性と知り合います

彼女は巡業でダンサーをしており、今は店(売春宿)にいるといいます

スペイン人と同じ、彼女も自分の分身の姿なんですね

一定の地に留まらない、常に新しい居場所を探してる

ジーノがアニタを見送ると、戻ってきたジョヴァンナは

ブラガーナの多額の保険金がおりたことを教えます

保険金殺人を手伝わされたと怒るジー

それはジーノの勘違いですが、ジーノはジョヴァンナを置いて

アニタに会いに行くのでした

 

ランチを買いに出たふたりの姿を見たジョヴァンナは

警察に全部打ち明けるとジーノを責めます

ジーノはジョヴァンナをビンタする

周囲の人たちがふたりに寄ってくる

(スペイン人を殴るシーンと反復する)

人ごみをかきわけてアニタのもとへ去るジー

人ごみがいなくなり、ひとり残されるジョヴァンナ

アニタとひとときを過ごしたジーノは

部屋の窓からカフェにいる刑事を見つけます

ジョヴァンナが密告したと思ったジーノは

アニタに「手配の男は1時間前に帰った」と

刑事に伝えてくるように頼みます

刑事は去り、アニタが部屋に戻るとジーノはいませんでした

アニタジーノと逃げるつもりで彼を助けたのに

彼女の瞳から涙がこぼれる

(残されたジョヴァンナと反復する)

駅は警察の見張りでいっぱいで

ジーノはジョヴァンナの部屋に逃げ込み彼女を罵倒します

その様子を鍵穴から覗く(突然現れた下働きの)幼い子ども

ジョヴァンナは警察に密告などしていませんでした

ジーノを責めることもしませんでした

なぜならジーノの子を妊娠したことがわかったから

お腹が膨れて醜くなった姿さえ愛しいと思える

 

「俺はひどい人間か」と問うジー

無垢な子どもも、彼のまた分身なのかも知れない

ジーノは生まれ変わり、ジョヴァンナを大切にする決意をします

ジョヴァンナも生活もリストランテも大事だけど

今は子どものために、ジーノを守ることが先決

彼と逃げる決意をします

だけど殺人を犯し、人の好意を裏切り傷つけてきたことを

神様は許してくれませんでした

 

車はトラックに衝突し川に転落

ジョヴァンナの首には大きな傷があり

すでに息絶えていました

 

そして二度目は警察も事故とは思わない

ジーノの死刑が確定した瞬間でもありました

 

郵便配達は二度ベルを鳴らす」というタイトルは

アメリカの郵便配達員が二度ベルを鳴らす習慣から

それによって住民もベルを鳴らしているのは配達人だとわかるわけです

本作の出版を13社から断られはジェームズ・ケインは

やっと採用が決まった14社目に「タイトルをなんとつけるか」と尋ねられ

出版社からの返事の手紙(2度のベル)を待ち続けたケインは

このタイトルに決めたそうです

なので映画にも郵便配達もベルも出てきませんが(笑)

タイトルにこじつけたと思われる

2度の反復がうまく起用されています

 

無知と愚かさ

ただ人並みに幸せになりたかっただけなのに

誰も幸せになれなかった

 

決して完成度が高いとはいえませんが、大戦中に撮影した勇気と凄さ

(当時のヴィスコンティは左翼派でファシズムだった)

そのことが「最初のネオレアリズモ映画」と言われている

所以のひとつかも知れませんね

 

 

【解説】allcinema より

戦中の、しかもイタリアでのJ・M・ケインのインモラルな犯罪小説の映画化は、より濃密な男女の欲望の彷徨を描いている。ネオレアリスモの先駆と言うよりも、その後のアントニオーニやベルトリッチの到来を予感させるような、ヴィスコンティの驚くべき処女作である。舞台はカリフォルニアから北イタリアのポー河沿いということになり、登場人物の名もそれぞれイタリア風に改められているが、物語の骨子は原作や後のハリウッドでの映画化作品とも変わらない。ただ、もっとむせ返るような官能に包まれて、不倫カップルの、夫殺しのサスペンスより、ただそうせねば愛を貫けない息詰まる情愛を丹念につづっている。陰影の強い黒白画面に呑まれそうだ

揺れる大地(1948) デジタルリマスター版

映画は貧しい一漁村にロケして製作され
 出演者もすべて 住民の中から選ばれた
 反抗という言葉も知らない 純朴な人々だった

 

原題は「La terra trema: episodio del mare

揺れる大地海のエピソード)

原作は シチリアの作家ジョヴァンニ・ヴェルガ

I Malavoglia」(マラヴォリア家の人々 1881

前半やたらと邪魔くさいナレーションが多いのですが(笑)

当初はイタリア共産党出費の選挙用のプロパガンダ映画

イタリア南部の労働者のドキュメンタリー3部作の

1作目の予定だったそうです

2作目は農村のエピソード、3作目は鉱山のエピソード)

 

が、プロパガンダ映画といえば、資本主義に対抗した労働者が結束して

戦って勝利を収めるみたいな内容ですが

伯爵ルキノ・ヴィスコンティ様、結束させるどころか村八分

見事共産化を失敗させ、ネオレアリズモに方向転換(笑)

主人公をどんどん惨めなどん底生活に突き落としてしまいます

おかげでかどうか、予算はなくなり

母親の宝石や、一族のローマにあるアパートを売って映画は完成

これってヴィスコンティじゃなきゃ出来ないよね(笑)

 

デ・シーカの「自転車泥棒(1948)も現地の素人を使っていますが

こちらは漁民や家族もそのまま家族の役で起用するという徹底ぶり

そのため撮影は困難を極めたそうです

(後半は演技がうまくなっている 笑)

その分リアリティある映像は素晴らしい

穴だらけのセーター、つぎはぎのズボン、裸足で平気で岩場を歩く

しかし画は美しく、特に黒髪、黒い服、美しく映える黒

助監督はフランチェスコ・ロージフランコ・ゼフィレッリ

若かりし日の巨匠の才能が光ります

 

シチリア島の寒村で家族と漁師を営むウントーニは

海兵隊員で男前、結婚を考えている恋人もいます

これは「ニュー・シネマ・パラダイス(1988)

ラストの名キスシーンのひとつで、作中で上映もされている映画

ニュー・シネマ・パラダイス」の舞台もシチリア

本作も全編シチリア語(イタリア語とは異なる)ですが

訛りがひどいため、同じシチリア人でも聞き取れない

しかも字幕はイタリア語で、観客のほとんどが字が読めない

というオチ

あらためてチェックしたいシーンですね

レビューに戻って(笑)

いくら大量の魚を獲っても、仲買人に安く買いたたかれ

明日の家族のパンを買うのがやっと

 

この村で暇なのは警察署長ドン・サルバトーレだけ
理由は国から給料が出ているから(笑)

上級国民の厭らしさを描く巧みさもヴィスコンティならでは

ウントーニは漁師たちに、みんなで団結して仲買人に立ち向かおう

自分たちで直接魚を売ろうと訴え、漁師たちも最初は賛同したものの

元手になる出資金が必要だと知ると結局誰も集まりませんでした

ウントーニは皆に手本を示そうと、家を担保に銀行から金を借り

カタクチイワシの大漁に巡り会うと、大量の塩漬けを作ります

しかし欲を出して時化の日に漁に出たばかりに難破

漁仲間に救助され命だけは助かりますが、舟は壊れてしまいます

他の舟で漁をしようとしても

仲買人が根回しをして誰も乗せてくれません

しかも出来上がった塩漬けは粗悪品と因縁をつけられ

ただ同然の値段で買い取られました

ウントーニは酒に溺れるようになり

弟のコーラはラッキーストライクの男(マフィアか)に誘われ

(家族のため)家出して密猟組織に入ってしまう

祖父は病気になり、家は銀行に差し押さえられ

恋人は去ってしまいます

次女は綺麗なネックレス欲しさに警察署長の誘惑に負け

(それを警察署長は村人に言いふらし、妹の行く末はわからない)

長女のマーラは思いを寄せる左官工のニコラに

もう身分が違うからとさよならを告げます

ホームレスが集まる一画でしょうか

家族は身の回りのものを売って、食いつないでいるようですが

それも限界があります

 

自分の舟(売って修理されている)を見に行ったアントーニに

声をかける持ち主になった家の少女

「貧乏なんですってね」

「助けてあげたいけど」

「(舟を)また見に来てね」

仕事を失ってから、初めて他人から言われたやさしい言葉

意固地で凍てついたアントーニの心が解けます

幼いふたりの弟を連れ仲買業者のもとに向かう

仕事をもらうために

自分に出来ることは漁しかないから

仲買人がアントーニをどんなに嘲笑しても、率先して雇ったのは

漁師としての腕がいい証拠なのでしょう

(たぶんイワシの塩漬けでも儲かったんだ)

ラスト、アントーニが再び舟を漕ぎだすシーンは勇気をもらえます

 

3時間(完全修復版)という、このての作風ではかなり長尺ですが

アマプラで見れる時代のありがたさ(笑)

結局2作目、3作目が作られることはありませんでしたが

続編的な作品として、ヴィスコンティはイタリア南部の貧しい若者の

都会(ミラノ)での残酷な現実を描いた「若者のすべて(1960)

原題「Rocco e i suoi fratelli」(ロッコと兄弟たち)を制作しました

 

こちらも名作ですが、アラン・ドロン×クラウディア・カルディナーレ

音楽はニーノ・ロータ

本作とは違いプロ仕様となっております(笑)

 

 

【解説】allcinema より

ヴィスコンティ版「怒りの葡萄」。ネオ・レアリズモ仕様・漁師篇。なんて書くとやたら軽薄な感じだが、事実その通りの内容で、ここで若き巨匠は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督に倣ってプロの俳優を一切使わず、シチリア島アーチ=トレッツアの漁師を起用し、作品の現実味を増させることに成功している。網元の搾取に苦しむ漁師たちに組合結成を呼びかける青年アントニオは、網元と結託する警察に捕まる。釈放後、非協力的な村民をしり目に独力で漁に出、これを事業として軌道に乗せるが、ある日、大時化に襲われ、全てを失う。素朴な島の民俗が盛り込まれ、権力と自然に拮坑する労働者の有り様と、一人の若者の闘いと挫折を、力強く描く、ヴィスコンティ初期の意義深い名作。

パリ、混沌と未来(2019)

原題は「PARIS EST A NOUS」(パリは私たちにあり)

 

簡単に言えば、飛行機事故を目撃したのをきっかけに

一組のカップルの関係が壊れていくなんですが

とにかくストーリー性がなく、最後は???の謎映画(笑)

唯一の救いは84分で終わること(笑)

 

テーマはモラトリアムと

2018年に起きたパリ暴動に向けたメッセージということ

 

モラトリアムとは債務の履行の延長を認める

支払猶予(一時停止)のことで

それを大学を卒業しても、働く気力のないフリーター

自立を先延ばしにしている女性に例えています

2018年のパリ暴動は、のべ7か月に渡った

「黄色いベスト」 と呼ばれる抗議デモのこと

ディーゼル燃料に対する新たな課税が原因となって

ガソリン価格が上昇

マクロン政権は、環境(低公害経済)のため

必要不可欠な税金だと説明しますが

 

生活費が高騰し、若者を中心に失業が広まる中

政府は貧しい人々のために何もしないと

フランス全土で36000人以上が参加

このうち5000人が首都パリに終結、一部が暴徒化

車を燃やし、国のシンボルを汚し、店を破壊、警察と衝突

パリに混乱をもたらし

「燃料税の削減」

「富裕層に対する連帯税(solidarity tax)の再導入」

最低賃金の引き上げ」

マクロン大統領の辞任」を要求します

 

「黄色いベスト」の意味はフランス2008に法律で

ドライバーは運転するとき車の中に必ず「黄色い蛍光色ベスト

用意しておくよう定められたことから

 

でも映画の内容はさっぱり(笑)

ナイトクラブで運命的な出会いをした大学生の男女

一緒に暮らすようになり

卒業後、男は仕事に就スペインへ移動が決まります

 

アパート代も生活費も支払っているのは自分

定職に就いていない彼女が

転勤先についてくるのは当然だと思っていました

だけど女は男が勝手にそう思い込んでる気に入らない

何で私がスペインに行かなきゃいけない

だからといって、パリに未練があるのかと言えばそうでもない(笑)

だだ自分のことは自分で決めたいだけ

 

同時にストやテロで混乱するパリ、大規模なデモ

混乱が続けば続くほど、広がる格差

貧困層声は届かないそれは恋愛も同じ

ぐるぐる回る、繰り返されるストロボ

サブリミナル

女は男に出会ったとき尋ねた
この世界そのものがビデオゲームだったら?

現実だと思っている世界が仮想現実かもしれない

 

女の分身(シルバーヘアのヒロイン)は

世界を外(宇宙)から見ている
改革のためには、悲劇で世界が破壊されることを

飛行機が墜落した先に何かがかわることを望んでいる

たぶん飛行機事故は現実に起きたものでなく

彼女のVRバーチャルリアリティ仮想現実

仮想空間を現実かのように体感させたものなんですね

 

私のレビューが正しいかどうかはわかりませんが

この解釈が一番しっくりくるような気がします

 

ただ面白いか面白くないかと問われれば

正直つまらない映画なので(笑)

パリの素敵風景を見たい人以外オススメできません(笑)

 

 

【解説】Netflix () 式サトより

高まる社会的緊張に揺れるパリの街角。運命の愛に揺れるひとりの女性が迷い込んだのは、夢、記憶、そしていくつもの"もしも"が交錯するゆらめきの世界。 出:ノエミ・シュミット、グレゴワール・イスヴァリーヌ、マリ・モテ

アナを演じるノエミ・シュミットは、「警部補ジョアン・ペーテルス」や「ベルサイユ」などにも出演。